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数とサインと学び
一也
数というものが気になってから、どれくらい経つだろうか。日頃、何気なく見過ごしている様々なものには、数が存在し、数字が書かれている。もし意識が現実を作っていると仮定するならば、その現実に表れた数というものには、隠されたサインがあっても不思議はない。
生活の中でも、携帯電話を切ったときの秒数や、車のナンバー、開かれている本のページなどで、直感が働くことが少なくない。同じようにブレスレットの石の個数なども思わず数えてしまうのだが、いくつなら良い悪いというのではなく、その時偶然に自分に来た数、という観点でとらえている。それは自分にとって重要な気づきへのサインであるからだ。
私の本名の画数は22画であり、姓名判断ではいわゆる凶数といわれている。近くの21画、23画、24画はどれも吉数である。子供のときからそういった本を読みあさっていた私は、何度改名を考えたかわからない。しかし研究が進むにつれ、改名する気持ちは消えうせた。22は神秘数でマスターナンバーであるからだった。今では、これでよいのだと本気で思っている。
同じように、13が不吉だと良くいわれているが、13はパワーが非常に強いように思われる。そのパワーの強さを封印するために13を不吉だと言ってコントロールしているという話もあるほどだ。
数には、どれも違う良さがある。凶数というものは存在しない。数による隠喩と我々への学びが存在するだけである。
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